「水戸の偕楽園」へ行ってきました。
1842年7月1日に開園した、水戸の偕楽園。
受付でもらったパンフレットによると。
偕楽園は、1842年7月1日に開園。
水戸藩第九代の藩主「徳川斉昭」が取り組んだ政策の一つが、偕楽園の開園。
ところどころ花が咲いている木もありますが。
園内の梅は、全体的にまだこんな感じです。
梅の花。
見頃は、もう少し先。
自分の管理している梅の木との違い、剪定方法などを勉強する目的。
梅といえば水戸の偕楽園。
自分の目的は、花を見ることではなく。
枝をみて、自分の管理している「畑の梅の木」との違いを確認。
剪定方法などを勉強、参考にするために行ってきました。
梅の剪定作業を終えました。品種の違いなのか?花が咲き始めている木もある。
花芽、つぼみが膨らんできている状態。
枝もみることができたので、個人的な来園の目的。
時期としてはちょうど良かった。
ウチから車で40分ほど。
偕楽園の梅は、草生栽培で管理されている。
歩いていると、数本の木が竹の枠で囲われていて。
これらの囲われた梅は、何か特別な意味があるのか?
近寄ってみると。
中には、落ち葉が敷かれている。
マルチ?
しばらく歩いていると。
この看板。
この庭園の梅の木たちは、「文化財保護法」により耕起作業が規制されている。
耕運ができないので「草生栽培」で管理されている。
やはり、落ち葉はマルチ。
そして、ここの梅。
苗木は、ウイルス対策として、他からは持ち込まない。
実生苗。
若い苗木は、こんもり。
かなりの量の土が盛られて植えてある。
梅の木を植えた理由。「観賞用」としてだけではなく、「食用」となる実用性を兼ねた。
偕楽園に「梅の木を植えた」理由。
梅は、春の「さきがけ」として咲く花。
詩歌の「題材」となるだけではなく。
梅の実は、「食料、非常食として実用性」も考えて梅園にした、ということ。
現在は、どちらかというと「鑑賞用の目的」なのかな?
この庭園にある梅の木を見て感じた第一印象。
樹高が高い!
5〜6メートルはある。
なんで幹がグルグルしているの?
幹が自然にねじれていくのか?
作ったのか?
グルグルな上に。
中が空洞の木。
中が空洞で、外側の樹皮が板のような状態で。
生きている木もあるし。
完全に倒れている木。
庭園なので。
「樹形が整っている」のかと思っていたら。
それぞれが個性的。
実が付かなそうな木が何本もあるし。
ここは日当たりがいいからなのか?
枝も混んでいる気がする。
すべてが画一的でない面白さ。
そして、一番のお気に入りの木が。
こちらの品種「鹿児島梅」。
梅の木なのに丸い。
細かい枝もクルクルして全体的に丸い形。
藩主は、これだけの権力、力を持っていたのですね。
千波湖や周囲が見わたせる仙奕台(せんえきだい)。
そのために作った、仙奕台(せんえきだい)からの眺望。
当時の石の将棋盤。
これだけの広大な土地に物が作れる徳川家。
藩主の権力や力。
情勢が不安定な当時から。
実用性だけでなく、景観、遊び心も考慮。
それが現代でも守られている。
300年以上の。
「木の生きているパワーと歴史」を肌で感じた1日でした。